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山口地方裁判所徳山支部 平成9年(ワ)218号 判決 1999年11月24日

原告

栢原清子

ほか一名

被告

チューリッヒ・インシュアランス・カンパニー

ほか一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告ら

1  被告チューリッヒ・インシュアランス・カンパニー(以下「被告チューリッヒ」という。)は、原告栢原清子(以下「原告清子」という。)及び原告栢原博文(以下「原告博文」という。)に対し、それぞれ五〇〇万円及び右金員に対する平成九年一一月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  被告大東京火災海上保険株式会社(以下「被告大東京」という。)は、原告清子及び原告博文に対し、それぞれ三二六万二五〇〇円及び右金員に対する平成九年一一月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  被告ら

原告らの請求をいずれも棄却する。

第二事案の概要

一  本件は、栢原博(以下「亡博」という。)が交通事故により死亡したとして、同人と被告らとの保険契約に基づいてその相続人である原告らが被告らに対し、保険金の支払を求め、被告らが亡博の右事故による死亡が「急激かつ偶然の外来の事故」によるものではないとしてその支払を拒んでいる事案である。

二  当事者の主張

1  原告らの主張

(一) 原告清子は、亡博の妻であり、原告博文は、亡博の子である。

(二) 被告らは、いずれも損害保険業を営む会社である(争いのない事実)。

(三) 亡博は、平成七年一一月一日、被告チューリッヒと左記の内容の保険契約を締結した(以下「本件第一保険契約」という。)(争いのない事実)。

(1) 保険種類 家族傷害保険

(2) 保険証券番号 GR一〇五〇〇〇三一九

(3) 保険期間 平成七年一一月一日から平成八年一一月一日午後四時まで

(4) 死亡保険金額 一〇〇〇万円

(5) 保険金支払条件 被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によって、その身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の日からその日を含めて一八〇日以内に死亡したとき

(6) 被保険者 亡博

(7) 保険金受取人 被保険者の法定相続人

(四) 亡博は、平成六年九月二二日、被告大東京と左記の内容の保険契約を締結した(以下「本件第二保険契約」という。)(左記の(5)記載の事実以外は当事者間に争いがない。)。

(1) 保険種類 積立いきいき生活傷害保険

(2) 保険証券番号 第三〇〇六一八一五九八

(3) 保険期間 平成六年九月二二日午後四時から平成一一年九月二二日午後四時まで

(4) 死亡保険金額 四三五万円

(5) 追加傷害保険金額 二一七万五〇〇〇円

(6) 保険金支払条件 運行中の交通乗用具に搭乗している保険証券記載の被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によって、その身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の日からその日を含めて一八〇日以内に死亡したとき

(7) 被保険者 亡博

(8) 保険金受取人 被保険者の法定相続人

(五) 亡博は、平成八年五月一六日午前一時五五分ころ、軽四輪貨物自動車(車両番号山口四一え九四一二。以下「本件車両」という。)を運転中、山口県徳山市大字川上一三番一号川上ダム公園わんぱく広場先路上(以下「本件事故現場」という。)において、運転を誤り、一ノ瀬隧道北側入口の擁壁(以下「本件擁壁」という。)に衝突(以下「本件事故」という。)し、脳挫傷により同所において即死した(交通事故の存在及び亡博の死亡について当事者間に争いがない。)。

(六) 原告清子は、亡博の妻として、原告博文は亡博の子として本件第一及び第二保険契約に基づく死亡保険金につき、それぞれ法定相続分二分の一を取得した。

(七) よって、原告らは、被告らに対し、それぞれ第一の一記載の保険金及び右保険金に対する各訴状送達の日の翌日である平成九年一一月一八日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告らの主張

本件第一及び第二の保険契約において、亡博の死亡が「急激かつ偶然の外来の出来事」(以下「保険事故」という。)によるものであることを原告が立証する必要があるが、亡博の本件事故は、事故態様の不自然性及び動機において偶然性及び外来性に欠けるものであり、保険事故によるものではない。

三  主たる争点

本件事故は、「急激かつ偶然な外来の事故」によるものであるのか否か(保険事故発生の有無)。

第三裁判所の判断

一  争点について(本件事故が「急激かつ偶然な外来の事故」であるか否か。)

1  本件事故態様

当事者間に争いのない事実、甲一、二、七ないし一〇号証、一四号証の1ないし4、乙一、二、四、一五号証、一八号証の1及び2、丙二号証の1ないし23、調査嘱託の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 県道新南陽日原線(以下「新南陽日原線」という。)の本件事故現場付近は、幅員約六メートルのアスファルト舗装された市道(徳山市大字四熊方面へ抜ける道路。以下「本件市道」という。)とのT字の三差路交差点(以下「本件交差点」という。)になり、新南陽日原線と本件市道が接する間口は約四〇・四メートルである。本件交差点の南詰め(新南陽市方面)の新南陽日原線は、一ノ瀬隧道に接しており、同トンネル内は、両側に一段高くなった幅員約〇・七〇メートルの歩道が設けられている。本件擁壁の北側に連なって山の土留のための擁壁があり、右擁壁に沿って右歩道が続いている。

他方、本件交差点の北詰(鹿野町方面側)には、富田川に架かる川上大橋と言われる橋(以下「川上大橋」という。)があり、同橋は約一七〇メートルの長さを有し、その両側に欄干があり、薄緑色のペイントで着色されている。

川上大橋を過ぎた辺りから新南陽市方面にかけて車道幅員約六・四〇メートルのアスファルト舗装された緩やかな左カーブで約三パーセントの下り勾配となっている。

川上大橋上の両側端に白ペイントの実線により、幅員約〇・六〇メートルの路側帯があり、車道中央部分には黄色ペイントの実線によるセンターラインが本件交差点内を含め表示されている。右車道は片側幅員約二・六メートルである。

新南陽日原線の制限速度は時速約五〇キロメートルであり、追越しのための右側部分はみ出し通行禁止及び駐車禁止規制がある。

新南陽日原線の夜間の交通量は少なく、車両がまばらに通行する程度である。

本件事故現場付近は照明があり、夜間でも照明具がなくとも筆記できる程度の明るさであり、本件事故現場付近の見通しはよく、見通しを妨げるような設置物障害物はない。左カーブになっている新南陽市方面への見通は約五〇メートル先のトンネル内を見通すことができる程度である。

本件事故現場付近から鹿野町方面への約一キロメートルの新南陽日原線は山間部で山林が続き、新南陽日原線の両側は山に囲まれ樹木が茂っている。また、その道路部分は、鋭い左右のカーブが多数連続し、正常な判断で車両のハンドルを制御しないと曲がり切れない状況である。また、川上大橋に入る手前辺から同橋まで比較的急な左カーブになっている。

(二) 亡博は、平成八年五月一六日午前一時ころ、本件事故現場の新南陽日原線を鹿野町から新南陽市方面に本件車両を走行中、午前一時五五分ころ、川上大橋を過ぎたころから本件事故現場辺りまでの間に、運転を誤り、対向車線へ出て、更に右前方にハンドルを切りそのまま右へ進路を取って、道路端にある歩道の段差を乗り越えて、一ノ瀬隧道北側入口擁壁の本件擁壁に衝突し、脳挫傷により同所において即死した。

(三) 本件車両は、本件擁壁の東角辺りにその右前面を当てた形で衝突していた。本件事故現場にはガラス破片等が散乱し、本件擁壁に衝突痕及び血痕が認められた。本件車両の右側前部全体に衝突痕が認められ、フロントガラス及び右側ドアーガラスは割れて脱落し、前部バンパーは曲損して脱落し、右前照灯が破損し、左右ドアーが曲損し、左前輪がパンクし、さらに車長は、前部が押しつぶされて約三五センチメートル短くなり約二・九四メートルとなって、走行不能で操向装置、制動装置等の実験ができない状況であった。

(四) 本件事故後の平成八年五月二八日から同月二九日にかけての現場調査によれば、本件事故現場には、歩道部分に三本のタイヤ痕が認められ、そのうち二本は明瞭であるが他の一本は不明瞭であった。明瞭なタイヤ痕のうち左側タイヤ痕は幅約一一〇ミリメートルあり、明瞭な条痕が三本と、不明瞭な条痕が三本認められ、明瞭なタイヤ痕のうち右側のタイヤ痕は幅員約一一〇ミリメートルあり、やや薄いが条痕が認められた。他の不明瞭なタイヤ痕にも薄く条痕が認められた。右側のタイヤ痕は、歩道部分から右へ約三〇度傾いて本件擁壁に向かって続き、さらに、右側タイヤ痕はその後左にカーブしている。右タイヤ痕及び本件事故現場付近の新南陽日原線の新南陽市方面への左カーブの程度からすれば、本件車両が右にハンドルが切られ、その後、本件擁壁に衝突する直前に左へハンドルを切った形跡を認めることができる。また、右タイヤ痕からは、亡博が本件車両にブレーキをかけた形跡は認められない。

なお、本件事故後の本件車両の損傷の程度及び亡博の死亡の事実からは、本件車両は時速約四〇キロメートル以上の速度で走行していたことが認められる。

(五) なお、本件事故を捜査した警察官によると、本件事故は、事故状況から他者からの介在は認められず、自損事故であると判断されている。

また、亡博は事故当時携帯電話、免許証及び自動車検査証を所持していたが、財布を所持していた形跡はない。

2  以上の事故態様及び本件事故発生時間から、亡博が居眠り運転をして、本件車両を本件擁壁に衝突させたものであることはあり得ないことではないが、亡博が本件車両を運転していた川上大橋に至るまでの走行間では、本件車両のハンドル操作にかなりの神経を要することから、その間睡魔に襲われるとは考えがたいこと、その後川上大橋の北詰から本件事故現場までの距離約二一〇メートルはほぼ直線であるが、通常疲れによる居眠り運転で事故を起こす場合には眠たくなって運転ができなくなるまでにある程度の時間を要することから、継続したカーブ部分を通過してきた直後に亡博が居眠り運転をして本件事故のような大きく運転操作を誤る程度の睡魔が襲ったとは考えがたいこと、仮に亡博に睡魔が襲ってきたとしても、川上大橋から本件擁壁までの距離は約二一〇メートルしかなく、亡博が、本件車両を時速約四〇キロメートルで走行した場合には約二〇秒で、本件擁壁に到達することになり、そのようなわずかな期間で本件事故のように走行道路の傾斜に反して右へ大きくハンドルを切るようなハンドル操作を行う程度の眠りに陥るとは考えがたいから、本件事故が亡博の居眠り運転であると断定できない。そこで、本件事故が他の要因によるものか検討する。

3  亡博の生活及び経営状況並びに亡博の本件事故当日の行動

甲一一ないし一三、一六、一九ないし二一号証、乙四号証、丙三号証の1ないし3、四、五号証、六号証の1ないし3、七号証の1及び2、八号証、証人竹内一彦及び同内川清志の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 亡博は、昭和七年九月二八日生まれで本件事故当時六三歳であった。亡博には、妻の原告清子と長男の原告博文がおり、事故当時は原告清子と二人だけで生活しており、原告博文は独立して所帯を持って肩書住所地で生計を営んでいた。原告清子は平成七年三月八日に脳梗塞で右半身不随となり、車椅子での生活を余儀なくされ、身体障害三級の認定を受けている。なお、原告清子は、障害者年金を受給しており、経済的に困ることはない。亡博の運転経歴は長く、大型二種免許を有し、通勤に自動車を利用していた。

(二) 亡博は、独立し、昭和五九年七月一一日三東技工株式会社(以下「三東技工」という。)を設立し、本件事故当時事務所を徳山市築港町七番八号に構えていた。三東技工は、建築一式工事及び土木一式工事等を業とし、本件事故当時従業員が八名いた。平成八年四月、女子従業員が代わり従業員である竹内一彦(以下「竹内」という。)の妻が経理を担当することになった。

三東技工の取引銀行は株式会社西京銀行であるが、同行には亡博の個人名義の普通預金口座のみがあるだけで、定期預金口座を有していない。同行からの融資は、亡博個人に対し平成六年九月に自動車購入資金として約二〇〇万円などがあり、現在の残高は約二〇〇万円である。また、同行からの三東技工への融資は平成五年八月に五〇〇万円あった。

三東技工はここ数年赤字で平成五年七月一日からの第一〇期の決算は、経常利益約八四〇万円の欠損となっており、平成八年の本件事故直前の累積損失は合計約三三〇〇万円にも上り、他方売上げは約三〇〇〇万円程度で、平成八年二月二九日までの売上げの試算表では約二三〇〇万円しかなかく、資金繰りが苦しく、担保に提供できる不動産を有していないことからいわゆる町金融から資金を得ていた。三東技工は、平成七年一〇月ころから、国民金融公庫への返済を滞り、同年一二月からは、利息のみ支払っている状況であった。

また、三東技工は、トクヤマ建設の下請に拘わらず、同社に対し融通手形を振り出し、下請業者である尾上建設にも融通手形を振り出していた。その結果、当時負債は約三五〇〇万円にも上っていたが、平成八年四月ころ国民金融公庫に融資を依頼したが、断られた。

また、亡博は、平成八年五月一二日にいわゆる町金融である山茂タイヤこと山本とも子に対し、割引されていた手形の返済に困り手形の支払の猶予を求めていた。さらに、酒井康夫(以下「酒井」という。)は、右融通手形二通(決済日が一通が同月一四日、他の一通が同月二三日となっている。)合計四六〇万円を所持していたが、右手形のうち、一通の返済時期が同月一四日であったので、同日亡博にその返済を迫り、亡博に対し、同日三東技工が酒井から四六〇万円を借り入れたことにして、三東技工が所有するユンボ、ダンプカー及び測量器械等の作業用の機械類を譲渡担保に入れさせ、三東技工の使用を認める旨の公正証書を作成させ、亡博は、酒井から同年六月一三日決済日の額面二三〇万円の手形の支払を猶予してもらった。

亡博は本件事故当時仕事場からの帰宅が遅く夕食を家で取ることも少なかった。

このように、亡博は、会社の資金繰りに相当追いつめられていた状況が窺える。結局、三東技工振出の融通手形は亡博の生命保険金三一〇〇万円で決済された。

(三) 亡博は、西金剛県営住宅に居住し、徳山市大字徳山字栄谷五一七六番一、宅地一五七一平方メートル、同所五一七五番三宅地四四・一九平方メートル、同所五一七五番一宅地七二七・〇二平方メートルの三筆の土地及び五一七五番地一所在、家屋番号五一七五番一鉄骨造スレート葺二階建の倉庫一棟を所存するも、名義のみで実質は高松敏夫の所有物である。その他貯金もない。

亡博は、自己の年金と会社からの収入月額約一九万円で生活をしていた。

(四) 亡博は、平成三年三月二二日午後二時ころ軽四輪貨物自動車を運転して、国道三一五号線を走行中、進行車線から左に曲がって徳山市大字大道理向道第一隧道入口の左側の山の土留の壁に衝突する自損事故を、平成六年八月二七日午後〇時二〇分ころ、普通貨物自動車を運転し国道三一五号線を走行中、走行車線から左に曲がって徳山市大字徳山栄谷栄谷隧道先でトンネル入口の左側の山の土留の壁に衝突する自損事故を起こし、それぞれ、徳山中央病院で治療を受けた。同病院の診断書によれば、平成三年三月当時、癇癪の疑いがあり薬の投与を受け、高血圧性心疾患と診断され、平成六年五月ころには、左硬膜下に低吸収域が認められ、血圧も高く、左硬膜下水腫、本態性高血圧、筋緊張性頭痛と診断され、薬の投与を受け、本件事故当時も薬を飲んでおり、平成七年暮れころから、頭がふらふらするとか頭が痛いと訴えていたことがあった。

亡博は、右事故の後原告清子に事故直前に目の前が真っ白になったので運転を誤り壁に衝突した旨話していたことから、右二件の交通事故は、亡博の脳疾患によるものと考えられる。

(五) 亡博は、本件事故当日の朝出勤する際に原告清子に午前〇時過ぎころ帰宅する旨言って出かけ、午後六時ころ一旦帰宅し、食事をして入浴し、午後八時ころ外出した。なお、亡博は、通常は帰宅時間を原告清子に言わないことが多かった。

亡博は、会社事務所で午後一一時ころまで竹内と仕事の打ち合わせをし、竹内はそのころ帰宅した。竹内は、当時の亡博には普段と変わった様子は認められなかった旨述べている。また、竹内は、亡博からその後どこに行くかは聞いていなかった。なお、徳山市大字大向には会社所有の資材置場が存在するが、亡博はこれまで夜間にその資材置場を見にいったことはなかった。

3  以上の事実からすると、本件事故自体の態様からは、居眠り運転によることも否定できないが、他方、亡博が本件事故現場までに走っていた本件事故現場直前の約一キロメートルの間の道路状況、前記3で認定した亡博の経済的状況及び亡博の本件事故直前の行動からは、発作的な自殺の可能性を否定できず、また、脳疾患による発作のための事故であるとの可能性も否定できないことから、本件事故が亡博の居眠り運転または運転操作の誤りによるものと断定できない。したがって、本件事故が「急激かつ偶然な外来の事故」によるものであると認めることはできない。

二  保険事故発生の立証責任について

1  なお、原告らは、保険事故発生の立証責任は、被告らにあり、また、仮に原告らに右立証責任があるとしても、その立証責任は大幅に緩和すべきであると主張するので、この点について判断する。

2  当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば、亡博と被告チューリッヒとの本件第一保険契約は、平成四年一二月二五日亡博が加入依頼し、平成五年三月一日から同年一一月一日までを契約期間としていたが、その後同日契約を更新し、その契約期間を同日から平成六年一一月一日までとし、同日契約を更新し、契約期間を同日から平成七年一一月一日までとし、同日契約を更新し、契約期間を平成八年一一月一日までとしたものである。

また、亡博と被告大東京火災との本件第二保険契約は、平成六年九月二二日締結したものである。

そして、本件第一保険契約の契約書(乙三号証)及び本件第二保険契約の契約書(丙一号証の1)によれば、保険対象事故は、「急激かつ偶然な外来の事故」とされている。また、右本件第一及び第二保険契約の各契約書にはそれぞれ、保険金を支払われない場合が規定されており、被保険者の脳疾患、疾病または心神喪失による事故について保険金を支払わないとされている。

本件第一及び第二保険契約は、保険事故の発生及び当該事故による傷害・死亡等の事実の存在を要件とするものであり、その保険事故とは、急激かつ偶然な外来の事故による身体の傷害という事実である。したがって、契約条項の文理的解釈からすれば、保険事故発生の立証は保険金を請求する者にあると解される。また、保険事故の発生の時期及び発生の有無が不確定であり、被保険者もしくは被保険者の身近にいる者であれば、被保険者の行動を知り得る立場にあって、日常生活の状況、経済状況、病気の有無及びその状況の把握も容易であるが、他方、保険会社は被保険者と人的な関係がなく、この種保険契約を大量に契約し処理をしなければならず、その立証は困難を来すことからすれば、保険金を請求する者に保険要件の立証義務を課すことは著しく不合理であるといえない。

したがって、当裁判所は、原告らの右主張を採用しない。

三  結論

以上から原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法六一条、六五条一項本文をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山口芳子)

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